気付き 仏陀 ヴィパッサナー

気付きの実践(仏陀の実践法):方法:思考の解放・思考停止

気付きの実践は仏陀釈尊が説かれた実践法であり、究極の覚りへと至る道といえるものです。この気付きの実践が思考の解放(思考停止)と同じだったんです。:気付きの実践(仏陀の実践法):方法:思考の解放・思考停止

気付きの実践(仏陀の実践法)

仏陀釈尊がお説きになった、気付きの実践方法です。
この気付きの実践は「念」「正念」「正念正智」等と呼ばれているもので、仏教の根幹と思われます。

正念正智とは、
歩きつつ、「歩いている」と知り。
立ちつつ、「立っている」と知り、
坐りつつ、「坐っている」と知り、
横になりつつ、「横になっている」と知り、
前を見つつ、「前を見ている」と知り、
後ろを見つつ、「後ろを見ている」と知り、
腕を曲げつつ、「腕を曲げている」と知り、
腕を伸しつつ、「腕を伸している」と知り、
食べつつ、「食べている」と知り、
噛みつつ、「噛んでいる」と知り、
味わいつつ、「味わっている」と知り、
大小便にも、行くにも、立つにも、坐るにも、眠るにも、覚めているときも、話すときも、黙っているときも、その瞬間を知ることである。


言葉を換えれば「今に気付く」「今の自分に気付いている」ことと言えます。
これは、ヴィパッサナーそのものの解説ですね。

どこに思考の解放や思考停止が書かれてるの??って思われるかもしれませんけど、この気付きの実践をしているときは、思考にも気付いて、巻き込まれなくなります。

それは、上記は行為についての気付きを指導されていますが、感覚や思考へと「気付き」を向けていくからです。
始めは解りやすい身体の行為に「気付く」ようにします。
歩くときは「歩いている」「歩いている」。さらに進むと「右足」「左足」と細かく「気付いて・言葉で確認」します。
で、この段階でも、ほとんど思考に巻込まれなくなっているはずです。

と言うよりも「ラベリング」「実況中継」と呼ばれている方法で、実感を言葉で確認し続けていると、思考している暇がなくなります。
上手くできているときなどは、思考が止まっているように感じます。

また、思考が出たときは「考え」や「雑念」と確認して、すぐに身体や感覚の実感に戻るようにすれば、思考に巻き込まれることはほとんどなくなります。

結局、思考からも解放されるのですね・・。

まあ、仏教の目的は解脱・覚りと言われているもので「貪り・怒り・妄想」を放れて、静かに安らいだ心の状態で居続ける方法です。
ですから、思考から解放される方法と言い換えても良いですね。

歩くときは歩いていることを知り、止まるときは止まると知り、座れば座ると知り、臥せっていれば臥せっていると知り、眠れば眠っていると知る。
このように、自分の身体を観じ、外界を観ずる。
念は身体にあり、智恵をもってこれらを観ずる。

身を正し心を正して、結跏趺坐し、他ごとを考えず、心を鼻の頭に集中し、出息が長ければ、出息が長いと知り、短ければ短いと知る。
また、入息が長ければ入息が長いと知り、短ければ短いと知る。
また、出息が冷たければ冷たいと知り、入息が冷たければ冷たいと知り、出息が暖かければ暖かいと知り、入息が暖かければ暖かいと知る。
このようにことごとく身体を観じて、入息出息について考える。
しばらくして息があれば息があると知り。
息がなければ息がないと知る。
また息が心から出れば心から出ると知り、息が心から入れば心から入ると知る。
このように安般を行ぜよ。

仏陀は、何も考えず五感を閉じて、無想の三昧に静止する時に安らかである。
これによって、己を拠り所とし己を頼って他を頼らず、法を拠り所とし法を頼って他を頼らずに行うべきである。

次に、仏教の目印を書いてみます
三法印・四法印(仏教であることの印)
諸行無常:全てのものごとは変化消滅するものである。
諸法無我:全てのものは、私ではなく、私のものではない。
涅槃寂静:涅槃は全ての雑念(貪瞋痴:思考)を離れた状態であ。
一切皆苦:全てのものは、苦(思い通りには成らないもの)である。

難しいようですが、現代的に考えると
・全ては変化消滅するものであり、永遠に存続することを願ったとしても思い通りにはならない。
・思い通りにならないものは、私とはいえず。私のものともいえない。(私ではない)
・これらのものに、執着し思考し続けているから、苦しみの止むことがない。
・覚者は執着(思考)を放れているから、安らいでいる。
のようになるでしょう??。
「これは私ではない」「これは私のものではない」と正しく観て、全ての執着(思考)を放れる。

「この世には私の思い通りに成るものは何も無い」と正しく観て、全ての執着(思考)を放れる。

これは、セドナメソッドを思い起こさせますね・・・。


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