思考の出所
思考の出所を探すと、思考は静まりますね。
これは、真我探求の手法ですが、かなり効果的です。
思考を止めようとして、潜在意識は完璧だと思うより、思考がどこから生まれるのか?を探求するのが私には合っているのかしら??。
とにかく、思考を止めようと、他の思考で置き換える方法が有効なときと、そうでないときがあるという方が正確かもしれない。
すんなりと、潜在意識は完璧だから、私は思考する必要もない。
すべてを丸投げしてしまえば、完璧な潜在意識がすべてを完璧に行う。
というように、納得できるときと、そういう気分になれないときがあるのは間違いない。
そんなときは、「この考えは誰の考え?」。
「これは誰の思考?」というように自問します。
当然、「私」ということになりますから、真我探求に向かうんですね。
「私は誰?」と、私という思いの生まれる所を探求すると、思考が静まるのを感じます。
どれもこれも、私が未熟だからいろいろな方法が必要なのかもしれませんが、一つの方法でうまくいかないときは、他の方法を試してみるのも良いのではないかしら??。
とにかく、思考することに何のメリットもないんだって理解している人は、思考を止めようとしているでしょう。
でも、その思考が簡単に止まない・・・、としたら、どうします???。
思考を止めようとしても、思考は止まないと思い込むのは間違えですよね。
これも思考ですし・・・・。
で、その思考の出所、思考の生まれ出る所を探って見るんです。
すると、私という想念が発祥で、その私はどこから生まれるかと探求していくと、思考は静かになっています。
そのときは、思考を止めようとしなくても、思考の本源を見出すことはできないので、思考もないということになるのかな?。これも思考か。
まず、「思考を止めよう」と思います。
そして、「潜在意識は完璧だから、私が考える必要はない」
「完璧な潜在意識が完璧な現実を引き寄せる」というようにアファしたとします。
でも、私の場合それだけでは思考が静まらないことが多々あるんです。
うまくいくときもあるし、うまくいかないときもある。
むしろ、思考は静まらないときのほうが多いかもしれない。
たまに、「潜在意識は完璧だから、丸投げしていれば完璧な現実が現れる」と、すんなり思えるときがある。
そのときは、そのまま完璧な潜在意識に委ねる感じでいられますね。
で、その観念がすんなり受け入れられないとき、上に書いたように自分の内面を探求しちゃいます。
「これは誰の考え?」「誰が考えている?」という感じの問いかけをします。
すると、それは「私の考え」「私が考えている」という答えですよね。
もしくは、「この思考はどこから出てくる?」「思考はどこから生まれる?」という問いかけも有効ですね。
思考の源、思考の出所を探るって感じですね。
私の源、私の出所を探るのと同じことですから・・・。
この、思考の出所を探る方法、私の出所を探る方法って本当に強力です。
探し始めると、思考はそこにあり続けることはできないようです。
もともとないものを探しているから、消えて行くしかないのでしょうね。
私には説明できませんが、私の源を探し始めると、あるいは思考の源を探し始めると、思考は静かに消えて行きます。
やっぱり、正体のないものなのでしょう。
スポンサーリンク
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る
≫ ≫ 続きを見る