ホ・オポノポノの12のステップは祈りそのもの
私はホ・オポノポノも思考停止の方法だと思っていますし、
実際に思考を止めることに役立つ方法だと感じています。
私は常用しています。
毎日いつでも、気付けば四つの言葉で記憶を浄化しています。
そして、思考を止めようとしています。
まず、ホ・オポノポノの12のステップの始めは、懺悔からですね。
誤った思考と言葉と行動を懺悔し、許しを請うています。
そして、その過ちを許すという内容も含まれています。
これらは、日本に古くから伝わっている祈りの作法にも良く似ていますね。
過去の罪や穢れを悔い改め、神に許しを請うというのは、どの国にもあったことなのでしょうね。
至高の存在を認識するには、自分の罪や穢れを無視して進むことはできなくなります。
それは、至高の存在は完全で完璧な存在であり、そのまま完璧な正解の創造者だからです。
そして、私たちが生活している世界が完璧でないならば、そこには、自分自身の間違った思考、言葉、行動があったのです。
これは、ホ・オポノポノでは100%の責任といい、自分の経験していることは、100%自分の責任だと説いています。
自分自身のうちにある無始の過去からの記憶の再生がその原因だというのです。
この記憶の再生も、仏教などで言うカルマ(業)と同義に感じます。
違うとしかられるかもしれませんが、私的には同じことをいわれているとしか思えません。
それから、感情を浄化するような祈りへと進み、至高の存在へ心が向かうようにできています。
私がホ・オポノポノを知ったときに、四つの言葉で記憶を浄化できると知り、
その四つの言葉は祈りのエッセンスだと思いましたが、
それは12のステップを見ると、まさに祈りそのものだったと感じました。
「ありがとう。愛しています」
「ごめんなさい。許してください」
という四つの言葉、言葉の並び順は自由なんですね。
「ありがとう。ごめんなさい。許してください。愛しています」
と事あるごとに唱えていると、本当に心が浄化されているような気がしてきます。
気のせいだといわれてしまえば、その通りかもしれませんが、
気のせいの気が動けば十分です。
ですが、ホ・オポノポノの12のステップを実行していなくても、
四つの言葉を唱えているだけで、心の感じ方が変化してきますよ。
それを感じるようになると、現実の変化も感じられてくると思います。
というより、現実が同じでも、自分の感じ方が変わってくるので、
今まで感じなかったことに幸福感を感じたり、喜びを感じたりできるかもしれません。
それが、心の変化の始まったしるしだといえます。
(私はそのように考えています)
宗教的なものは全てが人を救うためにこそ存在しているといえるからです。
救いとは何でしょうか、今生きていることに幸福を感じられるようになれば、
一種の救いだといえるでしょう。
決して、覚りや解脱を得ることだけが救いではないといえるのではないでしょうか?。
もちろん、覚りや解脱と呼ばれている状態は不変であり、永遠であり、完全無欠なのでしょうが、
それに近づくにつれて、心の中の喜びは増大していくはずだからです。
そうでなければ、人を吸引する力がないですよね。
どんな時代でも、人は幸せにいきたいと願っていたはずですから、
その人たちの救済は、まず幸せを感じられるようになることでしょう。
そして、その幸せに感じるのは、外側の状況だけではなかったのです。
現実は何も変わっていなくても、心で感じる感情は代わることができたんです。
こんなことは散々かかれていましたし、知っていたことなのですが、
その外界と関係なしに、自分の心は変わってくるんだと理解できたんです。
それは、本当に面白いです。
何が幸せだったのかって、永遠に変わらない何か。
それと一体となる喜び、それを知る喜びというほうが良いですかね。
(私はまだ一体になっていませんから)
そんな感じで、自分の内側に臨在している至高の存在に意識を向けて、
その完全性や最上の特性を考えたりすると、スーッと心が楽になりますね。
まさに、「ありがとう。ごめんなさい。許してください。愛しています」
っていう言葉が最適に感じます。
この方法でも、思考を止めて全てを神に委ねてしまうような心持が大切です。
自分で記憶を浄化しようなんて思ったら、大変なことになりますからね。
記憶を浄化して開放してくれるのは、私のうちに潜む神(至高の存在)なのです。
その存在を意識していると、幸福感や喜び、そして、心の自由までも感じるようになるんです。
こんなに簡単だったのって思えるくらい、簡単に心は安定しますね。
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